ゆいしょ
鎮座地 横須賀市久里浜5丁目19番3号
祭神 菅原道眞公 相殿に天照皇大神 須佐之男命を祀る
境内社 祖霊社・稲荷社
例祭日 8月10日直前の土・日(昔は8月25日)
越前国鯖江砂畑村(今の福井県鯖江市 新横江新)出身で、後に大阪にでて 身を立てた、砂村新左衛門(慶長6年 1601=`寛文7年1667)が、 幕府の許しを得て、昔は入海・葦原で あった久里浜中央部を流れる内川 (今の平作川)流域一帯に、新田開発の 志を立てましたが、工事は容易では ありませんでした。 新左衛門は、神明の加護を待つべし と悟り、前から崇敬していました 摂津の国西成郡上福島天満宮(今の 大阪市福島区福島2−8−1 福島天満宮)の御祭神菅原道眞公の 御分霊を、万治3年(1660)6月に、 久里浜村八幡(今の天神屋敷)に勧請し、 新田鎮護の神社としてお祀(まつ)りした のがはじめです。その後、 砂村新左衛門は、 この新田開発の 成否を決めると言える 「大〆切水門」を造る工事を していました。 この水門は、上を橋として通行し、 下は潮の干満によって動く掛戸で、 田畑に塩水が流れ込むのを防ぐしくみに なっていましたが、工事はとても むずかしく、途方に暮れておりました。 そんな或夜、新左衛門の枕辺に、 菅原道眞公と上福島天満宮の相殿に お祀りされている天照皇大神が現れ、 夢のお告げがありました。 尊い霊夢により、 新たなる力を いただいた 新左衛門は、 魂をふるいおこして 更に数々の工夫を尽くし、苦労して村の 命運がかかったこの水門と橋を、 ついに完成させることができました。 新左衛門は、あらたかな御神恩に 深く感謝し、堤防と水門と橋が 末永く堅固で、無事に村人のくらしを お守りいただきたいと願いました。 そこで再び摂津の国、上福島天満宮より、 道眞公を常にお守りくださる神、 天照皇大神の御分霊を、 寛文5年(1665) 9月新田に勧請し、 お祀りする場所は、 村の東端、水門に 近い字、明浜の地と 定めました。 寛文7年(1667)には、御神号を 水神社とし、ここに東方に水神社、 西方に天神社の両社が鎮座し、 新田の形態と人心が共に安定し、 整いました。(後に水神社は、明治41年 9月7日に天神社に合祀されます。) 砂村新左衛門はこのようにして天神社、 水神社の御加護の下に、多くの苦難を 乗り越え、寛文7年3月に至る間、 8ヶ年をかけ、石高360石余の 新しい村「内川砂村新田」を立派に 完成させました。 村人は、神の恵みと祖先の恩とに感謝し、 信仰あつく暮らしましたが、新田の開発も 休むことなく子孫によって受け継がれ、 皆、朝は朝星、夜は夜星と いわれるほど働きました。 延宝7年(1679)には、 石高542石余、面積は107町6反 (約107ヘクタール)と拡張され、 文化11年(1814)には更にふえて 585石余となり、三浦半島で最大の 新田となりました。 このようにして、開発され、発展をとげた 今の「内川新田」は、地理的には久里浜 4、5丁目の商店街や、6丁目の学校群、 各企業研究施設一帯、舟倉町及び 久里浜工業団地の全域と広範囲で、 久里浜地区繁栄の基盤となっています。 当神社は、三浦半島の三市一町 (横須賀市、三浦市、逗子市、葉山町)に 鎮座する宗教法人格をもつ88社の神社の うち、唯一学芸の神、菅原道眞公を主祭神 としてお祀りする神社です。 ご参拝の皆様から、「横須賀の天神さま」、 「久里浜の天神さま」、「内川の天神さま」と 呼ばれ、親しまれております。 おさな児のお宮参り、七五三詣、 受験生の合格祈願。 近年は、高齢となっても頭脳がくもらぬよう にとの願いを込めて参詣される方も多く、 くりはま花の国を訪れる道すじにあり、 特に、秋、コスモスが咲き 出す頃より、春、新緑の頃 まで、遠近各地よりの参詣 者で社頭がにぎわいます。